大判例

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東京高等裁判所 昭和50年(ネ)424号 判決 1976年7月28日

控訴人

株式会社徳商

右代表者

小野崎勝

右訴訟代理人

柴田嘉逸

被控訴人

三本ふみ

右訴訟代理人

樋渡源蔵

主文

原判決を次のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、別紙物件目録(一)記載の建物部分を明渡し、かつ昭和五一年一月一日以降右明渡済に至るまで一か月金一〇万円の割合による金員を支払え。

被控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。この判決は、被控訴人において金一〇〇万円の担保を供するときは勝訴部分につき仮りに執行することができる。

事実《省略》

理由

一被控訴人が、その所有にかかる本件建物部分を、控訴人に賃料一か月金一〇万円の約定で賃貸した事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、右賃貸借は、昭和四七年七月一七日に被控訴人と控訴人との間で、本件建物部分を賃料一か月金一〇万円、権利金二三〇万円、敷金三〇万円で賃貸する旨の合意が成立し、次いで同年九月一九日に、右のほか期間を五年とすること等の契約内容で確定した賃貸借契約書が作成されたものである事実を認めることができる。

二被控訴人が控訴人に対し、昭和四七年一〇月一七日到達書面をもつて、無断転貸を理由として、本件建物部分賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなした事実は当事者間に争いがない。

<証拠>を総合すると、控訴人は同年八月二一日および同月二二日の新聞紙上に、本件建物部分を貸店舗として賃貸する旨の広告を出して借主を募集し、同年九月六日に本件(二)建物部分を訴外菊池利江に、同月一六日に本件(三)建物部分を訴外小川和英に、それぞれ飲食店営業を目的とし、期間三年、賃料一か月金三万円、保証金一〇〇万円の約定で賃貸する旨の賃貸借契約を結び、その後間もなく右訴外人らに各右建物部分を引渡してこれを占有使用させた事実を認めることができる。控訴人は、右訴外人両名とは、それぞれ各建物部分における控訴人の飲食業の経営を委託する契約を締結したに過ぎず、同訴外人らに独立の占有をなさしめたものではないと抗争し、<証拠>中には、控訴人は右訴外人らに飲食業の経営を委託するものであり、同訴外人らとの間で作成した賃貸借契約書は仮契約であつて、将来この趣旨にそつた契約書を作成する意図であつた旨の供述があり、前顕甲第一号証(本件建物部分賃貸借契約書)にも、被控訴人が委託経営をなすことを認める旨の記載がなされているけれども、<証拠>を総合すれば、控訴人と右訴外人らとの間の各契約内容は、同訴外人らが、それぞれ各建物部分で自己の名において飲食店営業をなし、その設備に要する費用、諸税の支払は勿論、営業によつて生ずる一切の損益は同訴外人らに帰属し、控訴人は右訴外人らの営業には一切関与せず、賃料或いは管理費の名目で建物の使用収益の対価を徴収し、被控訴人に対する関係においてのみ右建物部分の管理および賃料の支払等の責に任ずるに過ぎないものであり、かような実質的な関係は、後日控訴人と右訴外人らとの間で作成する予定であつた契約書においても変更されるものではなかつたことが認められるので、控訴人と右訴外人らとの間には、明らかに建物の一部を使用収益させる旨の転貸借が成立したものと認めるのが相当である。

三控訴人は、仮りに控訴人が前記訴外菊池および小川両名に各建物部分を転貸したとしても、被控訴人は右転貸を承諾した旨抗弁し、被控訴人が、小川和英名義で飲食店営業をなすための風俗営業許可をとることに同意し、かつ本件建物階上の賃借人らからも右同意をとりつけたこと、ならびに控訴人主張の権利金、敷金等を受領した事実は当事者間に争いがないところ、他方<証拠>を総合すれば、次の諸事実を認めることができる。すなわち、

(一)  被控訴人は、訴外秀峰不動産こと島内秀男の仲介で、控訴人に本件建物部分を賃貸することにしたものであるが、当初から本件建物部分の転貸は固く禁ずる旨を再三明白に表示していたこと、

(二)  控訴人は、不動産業を営むレストランの経営等も行つていたものであるが、本件賃貸借の当初には、不動産業者であることを明らかにしないまま、本件建物部分を利用して食品マーケツトを経営する目的で賃借の申込をしたものであるが、その後に至り、本件建物部分の面積、構造等からみて、マーケツトの経営には不適当であるものと判断し、これを三区画に間仕切りし、一部は自ら使用して飲食店を営み、他の部分は第三者に使用させて飲食店を経営させようと考え、前認定のように菊池利江、小川和英に、それぞれ本件(二)、(三)の各建物部分を転貸することとし、この旨の契約を結んだこと、

(三)  そして控訴人は、昭和四七年九月一九日ころ、控訴会社の取締役であつた野々下哲哉、小野崎勝らをして、被控訴人に対し、本件建物部分を二区画に間仕切りしたうえ一部は自ら飲食店営業に使用し、その余の部分は第三者に経営を委託飲食店を営み度い旨を申入れさせたこと、

(四)  被控訴人は、右申入れにつき、控訴人のいう経営委託なる方式に疑問を抱き、繰返し転貸であれば承諾することはできないとして、その内容について説明を求めたところ、右野々下らから控訴人のいう経営委託とは、控訴人が経営の主体となつて控訴人の使用人をして実際上の経営に当らせるものであり、転貸とは異なるものであるとの説明を受け、また前記島内からも同趣旨の説明を受けたのでこれを了承することとし、二区画に間仕切りすることも承諾して同日前認定の本件賃貸借契約書を作成し、控訴人は間仕切りのための内部の造作等の工事にとりかかつたこと、

(五)  その後被控訴人は、小川和英が同人名義で本件(三)建物部分でバーを経営するため、風俗営業許可を得ようとして近隣の小学校等の同意をとりつけることに奔走していることを聞き及び、同人が本件建物部分の一部を転借しているのではないかとの疑念を抱き、またバー経営が深夜に及んで本件建物階上の賃借人らに迷惑をかけるのではないかと考え、同年一〇月五日に、前記小野崎、島内らと話し合い、事の真相を明らかにするように求めると共に、控訴人と小川との間の契約書があれば見せて欲しいと要請したところ右小野崎らから、小川には控訴人の営業を委託したに過ぎず転貸ではない、営業許可を同人名義でとるのは現実に営業に従事する者の名義でとる慣行に従つたまでである、本件建物部分の営業については一切控訴人が責任をもつ、小川との間の契約書は権利金等の支払を完了して被控訴人との間で賃貸借契約の公正証書を作成してから見せる、などと弁明されたため、なお一抹の疑念は残しながらも、同人らの説明に反論する資料もないままに、小川名義で営業許可をとることに同意し、階上賃借人らの承諾書や近隣小学校の同意書を得ることにも協力し、同月一一日権利金、敷金等の一切を受領するに至つたこと(右同意ならびに協力の事実、権利金等受領の事実はいずれも争いがない。)、

(六)  しかるに被控訴人は、その後になつて、前記菊池利江から控訴人との間の賃貸借契約書を見せられるに及んではじめて、本件転貸の事実を確知するに至つたものであること、

以上の各事実を認めることができ<る。>

右認定事実によれば、被控訴人は、本件賃貸借の当初から本件建物部分についての転貸を禁ずる旨をつよく表示していたものであり、前示のとおり、控訴人が飲食店経営を他人に委託することを承諾し、或いは小川和英が本件(三)建物部分において自己の名義でバー営業に従事することに同意を与えたうえ、その営業許可を得ることに協力したことも、いずれも控訴人の巧みな説明によつてそのいわゆる委託経営の趣旨を誤解し、建物部分の転貸にはあたらないとの見解のもとに行われたものであつて、控訴人ら主張のように転貸を承諾したものと認めるには充分でなく、他に被控訴人が転貸を承諾したものと認めるに足りる証拠はないから、控訴人の抗弁は採用できない。

四控訴人はまた、仮りに控訴人が菊池、小川に本件(二)、(三)の各建物部分を無断転貸したとしても、被控訴人は本件賃貸借契約にあたり、控訴人の経営委託を承諾し、かつ本件建物部分を区画してマーケツトまたは飲食店として使用することを承諾し、小川の風俗営業に同意を与え、控訴人に権利金等の出捐をさせたうえで本件賃貸借契約を解除したものであり、控訴人の転貸には背信性がなく、また被控訴人の解除権の行使は権利の濫用であるから許されない旨主張し、被控訴人が、小川名義の風俗営業に同意し、権利金等を受領した事実は当事者間に争いがない。

しかして、本件賃貸借の経緯、ならびに被控訴人において、控訴人が本件建物部分を区画してマーケツト又は飲食経営をなし、右飲食店の経営を他人に委託することを承諾し、小川のなす風俗営業に同意した事情は前認定のとおりであり、<証拠>によれば、被控訴人は、小川の風俗営業には同意したものの、再三にわたる要望にも抱らず同人との間の契約書を見せようとしない控訴人の態度に不信の念を抱き、依然として小川が本件建物の一部を転借しているのではないかとの疑いは消えなかつたが、確証がない以上賃貸借を継続するほかはないものと考え、控訴人から支払われた権利金等を受領し、更にその日である同年一〇月一一日控訴人に電話し、再度小川との関係をただしたところ、電話に出た前記小野崎から誠意ある回答は得られず、かえつて、面倒なことをいうなら解約して損害賠償を請求する、などと高圧的ともいうべき応待をうけ、益々控訴人に対する信頼感を失つていたところ、その後になつて、前記菊池から同人と控訴人との間で結ばれた前記賃貸借契約書(甲第二号証の一、二)を示され、かつ小川と控訴人との間の契約内容も同一であることを聞知するに及び、同訴外人らに対して本件建物部分を転貸したものとの確信を抱き、控訴人に対して本件賃貸借契約解除の意思表示をなすに至つたものである事実が認められ<る。>

右認定事実によれば、被控訴人には、権利金等を全額滞りなく受領ができるようにするため殊更に本件解除権の行使を遅らせていたような事情はなく、当初からつよく転貸を禁ずる意思を明示していたものであつて、控訴人主張の諸事実があるからといつて直ちに本件転貸につき背信性がないものとする特別の事情あるものとは認められず、また解除権の濫用というにも足りず、他にこれを認めさせるに足る証拠はない。

五よつて、被控訴人のした本件建物部分に対する賃貸借契約解除の意思表示は有効であり、本件賃貸借は昭和四七年一〇月一七日終了し、控訴人は本件建物部分を被控訴人に明渡す義務を負うものというべきである。

六控訴人は、本件賃貸借に際し控訴人から被控訴人に交付した権利金、敷金の返還請求権と本件建物部分の明渡義務とは同時履行の関係にたつ旨抗弁し、被控訴人が本件賃貸借契約に際して控訴人から権利金二三〇万円、敷金三〇万円を受領した事実は当事者間に争いがない。

(一) <証拠>を総合すると、本件建物は池上線荏原中延駅から徒歩三分位の繁華な商店街に位置し、食料品マーケツト等にも利用できる立地条件良好な約三〇坪の店舗建物であり、本件賃貸借は、期間は五年、賃料一か月金一〇万円、期間満了時には更新料として賃料二か月分を支払つて更新できる、賃貸権の譲渡又は転貸を禁ずる、との約定であつて、権利金の返還については特段の合意はなく、本件建物部分の賃貸借に伴う権利金は、賃借権の譲渡転貸を認めるかどうかに拘らず金二三〇万円が相当であつたこと、の各事実を認めることができ、これを覆えすに足りる証拠はない。

してみれば、控訴人が被控訴人に交付した権利金は、本件建物部分の立地条件、賃貸借の期間、賃料等からみて、本件建物部分の賃借権設定によつて控訴人が取得享有すべき特殊の場所的利益の対価として交付されたものと認めるのが相当である。かような権利金は、その賃貸借が有効に成立して賃借人において相当期間賃借物を使用収益し、その対価を回収し得たものと認められるような通常の場合には、賃貸借終了の際においてもこれを返還することを要しないものと解すべきであるが、前認定の経過から明らかなように、控訴人は、控訴人に対する権利金の交付により、有効に本件建物部分の賃借権を取得したものの、殆ど使用収益の機会のないうちに無断転貸を原因として賃貸借を解除されて賃借権が消滅するに至り、その賃借権設定によつて享受すべき場所的利益を受けないままに賃借権を失いその対価を回収し得なかつたものであるから、このような場合にあつては、控訴人は被控訴人に対し、その支払つた権利金の返還を求めるものと解するのが相当であつて、その返還請求権は、契約解除に伴う原状恢復義務の一場合として特段の事情のない限り、賃借物返還義務と同時履行の関係にたつものと解するのを相当とするから、権利金二三〇万円の返還と、建物明渡義務との同時履行を主張する控訴人の抗弁は理由がある。

(二)  建物賃貸借に際し、賃借人から賃貸人に交付される敷金は、特約のない限り、賃貸借が終了し、賃借人が賃借目的物を返還したときにはじめて返還請求権が生ずるものであつて、賃借物の返還と同時履行の関係にたつものではない。そして本件において控訴人が被控訴人に交付した敷金返還につき特段の合意が成立した事実については何らの主張立証もないから、敷金三〇万円の返還請求権と建物明渡との同時履行を主張する控訴人の抗弁は理由がない。

七そこで被控訴人の相殺の抗弁について判断する。

(一)  <証拠>を総合すると、控訴人は、本件賃貸借の合意が成立して権利金の中間金を支払つた昭和四七年九月一九日ころ、前認定のように本件建物部分を二区画に間仕切りして飲食店営業に用いることの了承を得た後、本件建物部分の内装等にとりかかつたが、勝手に内部を三区画に間切りし、被控訴人から基礎、土台等を損傷しないように申入れておいたにも拘らず、内部造作等の範囲を超えて建物内部の基礎、土台の一部を切り取り、コンクリート土間を堀削して溝をつくり、内壁を取毀して合板張りとし、西側窓を取外しその下壁の一部および敷居、鴨居を切断してドアを取付け、霧除けを取毀す等して外見上からも賃借当時と相当異なる建物とし、また天井板に多数の穴を空け、天井部分の電気配線の全部を切断取外すなどし、被控訴人の再三の制止を無視して、契約解除通知後も、同年一〇月二八日被控訴人のした仮処分執行のころまで工事を続行し、よつて被控訴人に補修のため金二五五万円の工事費用を要する程度にまで本件建物部分を毀損し、被控訴人は昭和五〇年一二月末日ころまでに同額を費して訴外有限会社佐野装備に本件建物部分の補修工事を行わせて同額の損害を蒙つた事実を認めることができる。

そうしてみれば、被控訴人は控訴人に対して、遅くとも昭和五〇年一二月末日までに、本件建物部分の毀損に伴う右補修工事代金相当の金二五五万円の損害賠償請求権を取得したものと認めるべきである。

(二)  被控訴人が控訴人に対して、本訴(昭和五〇年一〇月八日午前一〇時の口頭弁論期日)において、右損害賠償請求権をもつて、控訴人に対する権利金返還債務と対等額で相殺する旨の意思表示をなしたことは当裁判所に顕著な事実であり、控訴人の権利金返還請求権は右相殺によつて、昭和五〇年一二月末日に全額消滅に帰したものというべく、被控訴人の相殺の抗弁は、爾余の点について判断するまでもなく理由がある。

八したがつて、控訴人は被控訴人に対し、本件建物部分の明渡義務を負うことは前示のとおりであるが、右義務は控訴人の権利金返還請求権と同時履行の関係にたつものであることも前示のとおりであつて、右請求権が被控訴人のした相殺により消滅した昭和五〇年一二月末日まではその明渡を拒み得たものであり、その間は履行遅滞の責を負わないものというべきであるから、被控訴人主張の賃料相当の損害も生じ得ない。

九よつて、被控訴人の本訴請求は、控訴人に対し本件建物部分の明渡しと昭和五一年一月一日以降右明渡済まで一か月金一〇万円の割合による賃料相当損害金の支払を求める限度で理由があるから認容すべく、その余は失当としてこれを棄却すべきであるから、これと異なる原判決を右のとおり変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、各適用し、主文のとおり判決する。

(江尻美雄一 滝田薫 櫻井敏雄)

物件目録、図面<省略>

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